山の覚え書き


きちんとした記録が手元にないので、うろ覚えのところも多少ありますが、
できる限り思い出して書いてみました。
思い出すたびに、ぼちぼち書き足していきます。
嫁さん(プーママ)の愚痴話もどんどん書き足されることでしょう。(^^;;
小学生の頃 父親が山岳会をやっていた関係で、毎年冬にはスキー、春はザイル祭などについて行き、岩登りの真似事などやって遊んでいた。懸垂下降もおもしろかった。
中学2年春 初めて本格的な山行き。大峰の上多古川を、父、兄、山岳会の人で沢登。
荷物は軽いし、水は豊富だし、岩場は面白いしでそれから病み付きになる。
中学2年春〜夏 芦屋ロックガーデン、仁川などでトレーニング。
中学2年夏 北岳合宿(山岳会)大樺沢BC。
@バットレス第4尾根登攀。初のアルプスの岩場は快適だった。
A草滑りより頂上往復。
中学3年春 大峰・神童子遡行(山岳会)
中学3年夏 穂高合宿(山岳会)涸沢BC。
@前穂4峰北条・新村ルート登攀。岩がもろくて恐かった。雪渓の登下降もこわかった。回りはみんなアイゼンか、せめてピッケルもってるのに。
A北穂往復。
中学3年春 大峰・前鬼遡行(山岳会)
高校1年〜2年秋 月例山行で、六甲・葛城・京都北山など行ってましたが、詳細不明のため割愛させていただきます。
新歓・追出・ボッカなんて、いまとなっては懐かしいです。
高校1年夏 南アルプス南部(三伏峠〜聖岳)縦走(高校山岳部)
初の縦走は、きつかったけど楽しかった。
南アはやっぱりまた行きたい山域です。
高校1年夏 剣岳合宿(山岳会)台風のため、馬場島〜池の谷〜三の窓を往復したのみ。
高校1年冬 伊吹山スキー合宿(高校山岳部)
本体30KG、フレーム30KG(竹製)というとんでもないカマボコテントをゲレンデの隅っこに建てて、登山靴にジルブレッタでスキー訓練しました。
もちろん私はフレームを担がされ、背負子の足で大阪環状線のホームのベンチに、穴をあけてしまいました。
高校1年春 (高校山岳部)大日岳の手前まで行って、雪洞ほって帰ってきました。
最終的には、弥陀ケ原をスキーで下って帰ってくる、という計画の一環でしたが、その後どうなったのかなあ。
高校2年夏 北アルプス・表銀座縦走(高校山岳部)
高校2年夏 剣岳合宿(山岳会)三の窓BC。この年も台風のため、馬場島〜池の谷〜三の窓まであがったが、いったん早月尾根から降り、再度三の窓へもどりそれからやっとスタート。
@チンネAニードルB長次郎〜平蔵〜源次郎尾根〜頂上その他
いやー、一番充実した合宿でした。
大学1年春 燕〜常念〜大天井〜蝶〜上高地縦走(大学探検部)
大学1年夏 室堂〜槍ヶ岳〜蝶ヶ岳縦走(大学探検部)
(T_T)/~~~ 山から遠ざかる。
大学2年〜 とはいうものの、実はこの時期、”G−POKU”という小・中学生対象のキャンプカウンセラーのグループに入ってました。阪神間の大学生が寄り集まって、姫路の岩屋というところでやってました。当時のキャンプネームは「またべえ」です。ちなみに「チック」という女の子がいましたが、その人は今、めぐりんのお母さんです。
(T_T)/~~~ 就職、結婚、子供。ほんとに山から遠ざかる。
1994.春 御在所岳。家族4人。
嫁さんが急に「近場でいいから温泉に行きたい」と言い出したので、「じゃ湯の山温泉に行こう」「せっかくやから御在所のぼろうや」ということになり、我が家としては初めての山登り。とはいっても、温泉つかって朝はゆっくりして、表道からの一般コース。しかも下りはロープウェイ。しかし子供らが、けっこう楽しそうだったので「これはいける!」とひとりほくそえんだ父であった。
「温泉に行きたい」と言った母は、その後、夏がくるたびに後悔する事になるのであった。「温泉だけ行きたい」と言えば、よかったのか。(プーママ)
1994.夏 上高地〜徳沢〜蝶ケ岳〜徳沢〜上高地。家族4人。
さすがにいきなり縦走や、3000m級は無理と思い、入門編の蝶ヶ岳往復とした。
私自身も、もう10年以上本格的な山はやってないし、ちょうどよかったかも。
ボーナスを注ぎ込んで買い込んだ多量の備品たち。誰が、後始末するんだ!テントを干し、リュック干し、靴の泥落し、山の様な洗濯をし、道具の手入れをしたのは私なんだ。それも、筋肉痛の体に鞭打ってなんだぞ!それにしても、どうやったら押し入れにかたずけられるかをなやんだ私だった。(プーママ)
1994.秋 鈴鹿・竜ヶ岳。家族4人。
テントで2泊して、中の1日で竜ヶ岳往復。頂上までは難なく行けたが、下降路をまちがえ(蛇谷)えらいことに。何とか無事にテントにはたどり着いたが、子供らはいまだに「あのときの遭難ごっこは面白かった」と言ってます。もちろん本人は深く反省してますが。
1995.5/3-5/5 佐久島青少年キャンプセンター。家族4人。
「山以外でキャンプしたい」「釣もしたい」というリクエストに応えて、船で島に渡りました。釣はまったく初めてなもので、フグしか釣れず。あとはのんびり遊んでました。でもカウンセラーの若い人がしっかりしてて、感じのいいキャンプ場でした。
1995.8/11-8/14 上高地〜涸沢〜屏風〜徳沢〜上高地。私、嫁さん。
いろいろと事情があり、今回は2人。予定は奥穂高〜岳沢でしたが、涸沢についたところで、もうばてばて。急遽変更して、屏風経由のパノラマコースを帰ってきました。二人でもっとのんびりできるかと思ったけど、体力がついてこなんだ。
1995.秋 赤目四十八滝。家族4人。
民宿に一泊して、ほんとは他へ行く予定だったけど、あいにくの雨で四十八滝を逆にたどることにした。大人二人は、買ってから初めての雨具をつけ、子供らにはポンチョを着せ 、「いやこれも訓練訓練、ええこっちゃ。」と雨の中を楽しんできた。
1996.5/3-5/5 田代高原キャンプ場。家族4人。
ごく普通のキャンプ場でした。近くへ山菜取りに出かけたり、テニスしたり、のんびりしたキャンプでした。
1996.7/27-7/30 燕〜大天井〜常念〜蝶〜上高地。家族4人。
家族としては初めての縦走に挑戦。合戦尾根の登りはさすがにきつかったが、あとはなんとか無事乗り切った。ただ大天井・常念間で、嫁さんの左手が日焼けで火傷状態になり、常念〜横尾まではきつかった。横尾には夜7時頃の到着になり、本人もつらかっただろうが、龍もめぐりんもよくがんばった。
1997.5/3 鈴鹿・藤原岳。家族4人。
前日が雨で、当日も朝まで雨が残り、非常に足場が悪い中の登山となった。私と嫁さんは無謀にも半ズボンで歩いた為、しっかりヒルの餌食となり、一週間くらい足が倍ほどにはれてました。
1997.7/26-29 穂高・涸沢。私・龍。
詳しくは、97年夏の記録をご覧ください。