1997.7.26(土)22:40
台風19号が来ているというのに、私達親子は名鉄バスセンターより上高地直行バスに乗り込んだ。
さすがにキャンセルが多く、乗客は定員の約半数。これは楽に寝ていけそうだ。
ちなみに新穂高行きは1組2名(中年のご夫婦)のみ。奥さんが「私ら2人だけだと申し訳ないわねえ」と運転手さんに言うと、「いえ、どっちみち帰りのお客さんがいますから」と答え、二人だけのお客を乗せて颯爽と出発して行った。
1997.7.27(日)5:30
無事上高地着。嫁さんが作ってくれたおにぎりの朝食をとり、さっそく出発。今日一日、なんとか天気は持ちそうだ。
さすがに、登山客、観光客とも数は少ない。横尾まではのんびり行こう。
横尾からいよいよ登りにかかる。
今回は2人なので、荷はできるだけ軽くしたつもりだが、やはり登りはきつい、重たい、つらい。
日頃の運動不足が身にしみる。
しかし、ピッチは好調。ほぼコースタイムで、何度も同じ人達と抜いたり抜かれたりしながら、どんどん高度を稼いでいく。調子の悪い時は抜かれてばっかり。だから、今日のような山行は楽しい。
ほぼ予定通り涸沢着。やはりテントはまばら。どこにでも張れる!
とうれしい反面、こんなに少ないと何か心細い。さっさとテントを立て、涸沢ヒュッテまで行き、私はおでんとビール、龍一はラーメンを食べ、ようやくほっと一息つく。
ガスに煙る涸沢(うちのテントです)「うーん、明日はどうしようか」
夕刻より雨。やっぱり雨か。
2人の経験からいくと、雨の中この荷物で奥穂を超えるのは、ちときつい。
せっかくここまで来たのになあ。でも、ただの雨ならともかく、台風来てる時にわざわざ山登って、それで事故でも起こしたらまずいしなあ。
とにかく朝、明日の朝の様子で決めよう!
1997.7.28(月)5:00
テントから外を見るまでもなく、やっぱり雨。それでも奥穂・北穂を目指す人はいるようだ。さすがに現役は強い。龍一がせめて高校生で、私があと10歳若かったらなあ。
でも山は逃げへん。また来たらええわ。今日は徳沢泊と決め、も一度寝る。
雨の中、撤収。これもまあ、ええ経験か。
雨具をしっかり着込み、ぼちぼちと下りにかかる。けっこうたくさん、登ってくる人とすれちがう。
明日は晴れるぞ。うらやましい。
本谷橋あたりで雨はあがる。いや、この辺ではもともと降ってなかったかも。
横尾手前あたりで、龍一は多少バテ気味。私は昔から下りには強い。いつも走っていたように思う。よくそれで膝もこわさず、今でも山に来れると思う。
横尾からまた雨。でもあと1時間。なんとかがんばって徳沢着。
徳沢はこれで4年連続という事になる。いつ来てものんびりできる。
今日は私は山菜そば、龍一はソフトクリームを食べ、「よっこらしょ」っと設営にかかる。
1997.7.29(火)
快晴。一日ずれていればと残念だが、ま、最終日また晴れただけでもよかったと思う事にする。
ゆっくりと朝食をとった後、雨具やテントを全部乾かして、のんびりと帰り支度。上高地までは2時間。あと2時間で今回の山行はおしまい。
この道(徳沢〜上高地)は、何回も通った道。龍一でさえ3回目。おたがい無言で、山への思いを深めながら上高地へと急ぐ。
無事上高地着。シャワーをあびて気分もすっきり。バスターミナルの2階でささやかに乾杯!
後は名古屋行きのバスに乗るだけ。
ピークは踏めなかったけど、まあ、意義のある山行だった。こんなこともある。私も高校1年の時に、馬場島から池の谷を登って三の窓まで行きながら何にもせずに、夏だというのに早月尾根を下った事がある。これも経験。山で無理は禁物。来年もまた来れる。そう自分に言い聞かせながら帰路に就く。
山行の楽しみのひとつに、「報告書をつくる」というのもあると思うんですが、私の場合は、なにせ家族だけであちこち行ってるものですから、写真の記録だけに終わっています。
「1997夏の記録」は、山歴のある方には、たぶん物足りないものだと思います。印象は、すごくいっぱい残っているんですが、具体的なことはさすがに忘れています。(もう半年以上前になりますし)
それでも何か残しておきたいと思い、こういう形で作ってみました。
次回は、もっといい山行をして、もっといい報告ができればと思っています。